忍城29.培根堂・洋学館・国学館跡
培根堂・洋学館・国学館跡
碑面培根堂・洋学館・国学館跡

行田市教育委員会

碑陰慶応四年維新の動乱は人材を創るにしかずと藩校
進修館で漢学 この地勘定所に数学の培根堂 英
学の洋学館 国学の国学館を開き 明治四年七月
までの短い期間に数多な人材を輩出した その後
学制により成田学校になり明治十一年二月まで続く
 昭和五十四年二月

建立 行田ライオンズクラブ
協賛 代 篁

紹介培根堂(ばいこんどう)は慶応四年(一八六六)勘定所稽古場の一部を用いて、藩学進修館の漢学、兵学の教養部として、主として漢学初歩、算術、軍学を教えた。藩士の子弟は半ば強制的に就学させられた。
 洋学館は英語を教えて、藩士の子弟十六歳から二十歳までの者に就学を奨励した。
 国学館は培根堂の北学寮を用いて、黒沢翁満の門人が教えた。
 この三校の開校は活眼であり、画期的な試みであった。ところが、明治四年(一八七一)七月廃藩と共に廃校となってしまった。
 これらの進修館、培根堂、洋学館、国学館を何とか存続させたいと、明治四年七月十九日下荒井の金剛寺(東照宮別当)跡を国学館として授業を継続した。明治五年大蔵省に差し出した文書に、国学校、支那学校、洋学校、算学校、手跡(書道)の五校を、教官五十五名、在学生一、七九五名で開校し、その認可のために県から係官が行田に来たという文書がある。これも明治五年(一八七二)の”学制”発布の為に数ヶ月で廃校、学制にのっとり荒井学校、北谷学校、成田学校、行田学校の開校となった。
(この『行田史跡物語−忍城史跡案内−』は、大澤俊吉著『行田史跡物語』を抜粋・要約、その後の研究を加味したものです)  
史蹟29.培根堂・洋学館・国学館跡
住所行田市本丸7−20 中央小学校裏庭東門内左
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交通秩父線「行田市駅」下車・徒歩13分
駐車場なし
休み中央小学校の塀越しに、いつでもご覧いただけます。
時間中央小学校の塀越しにご覧いただけます。早朝・深夜を避けてご覧下さい。
トイレ★水城公園北側トイレ・徒歩1分 ★行田市バスターミナル・徒歩3分 ★ぶらっとぎょうだ(商工センター内)・徒歩8分 ★忍城址・行田市郷土博物館(忍城の小途経由)・徒歩8分 ★秩父線行田市駅・徒歩13分
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